【国民として考える】小室眞子さん・小室圭さんの結婚記者会見が、私たちに投げかけたもの

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こんにちは、トムです。

以前に 秋篠宮家の眞子様(以下、眞子さん)と小室圭さんの結婚によって日本で起こっていることへの懸念の投稿「【国民として考える】眞子様のご結婚で起こっていることは、日本の根幹を揺るがす重大な問題である その①」をしました。本記事はこの続きです。

去る10月26日に眞子さんと小室圭さんが当初の予定通り結婚され、結婚記者会見が開かれました。本記事はその会見で受けた私の印象と問題提起の記事です。お二人が会見で話された内容はこちらのサイトに、そして文書での回答となった記者からの質問に対する回答はこちらのサイトに記載されています。

本記事はこの記者会見が私たち国民に投げかけたものが何か、というテーマを考えたものです。

まず私が記者会見で受けた印象をざっと書きますと、

  • 思ってた以上に「私」を貫ぬく意志をお持ちだったなということ
  • これまでの一連の報道の正確さを一切認めていないことと、それらを鵜呑みにして誹謗中傷を投げかけた人々に対してある種の怒りや失望を感じられていること

です。

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「私(わたくし)の心」を貫いた眞子さん

「私を貫いた」という点について、私は前回の記事で、眞子さんは(皇族の一員だったという立場から)今回の件で残念ながら分断されてしまった国民と皇室の関係性修復を願うコメントをこの会見で出されると予想したのですが、そのような意味を含んだコメントはされませんでした。

会見ではこれまで支えてくれた方への感謝のコメントが中心でした。これにはご両親やご兄弟など皇室の方々も含まれると私は解釈しましたが、直接的に天皇陛下やご両親など皇室の方々へ感謝の言葉を述べることもありませんでした(記者質問への回答でもそのような趣旨の質問があったのですが、直接的な言葉は無し)。

そして今回の結婚は「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」とも述べています。これは以前に眞子さんが結婚前に出されたコメントと全く同じですが、皇室の一員であった時期も自身の「心(=私)」に基づいてこの結婚を決められ、本来は行われる各種の儀式を開催しないことになろうとも眞子さん自身の心に基づき結婚する意志を貫かれたことを改めて表していました。

今から考えれば「複雑性PTSD」を罹患していることを発表されたのも、自分自身に人間としての「心」があるのだと眞子さんは改めて世間に言いたかったのかもしれません。

そして驚いたのは「婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした。例えば圭さんのお母さまの元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました」という言葉です。前回の記事で「小室さん文書の発表の直後に解決金の話が小室さん側から出てきたのは奇妙に感じる」と書いたのですが、これは眞子さんの依頼によるものでした。

この点について、当時皇室の一員であった眞子さんが第三者と言える小室さんの母と元婚約者との問題に関わりを持つことが果たして適切なのか(法的な観点と道義的な観点で)という疑問は確かにあります。この点は別記事で考えてみたいと思いますので一旦置いておくとして、この眞子さんの行動は「いわれのない批判や誹謗中傷」を受け続け心が大きく傷ついた小室圭さんと小室さんの母の気持ちを自分自身も共有することで、小室さん母子の負担を少しでも軽くし、結婚を前進させようという眞子さんの意志だったと私は考えます。

以上のことから、今回の結婚は眞子さん自身(私)の心を貫いたものであること、そしてもう自分は皇族ではなく一人の国民(公人ではなく私人)であり、その立場で生きていくという意識を強くお持ちだと感じました。

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週刊誌メディアの誤った報道と、それを信じた人たちへの怒り・失望感

お二人が会見でも文書回答でも複数回にわたって語った「誤った情報」「謂れのない物語」「根拠のない批判」「金銭トラブルと言われる事柄」といった言葉に象徴されるように、お二人はこれまで主に週刊誌メディアから発信されてきた一連の報道の正確性を一切認めていません。

これは私も前回の記事で書きましたが、議論のベースとすべきは当事者が発信した一次情報のみです。二次情報以下にすぎない週刊誌の記事の内容を完全に信じた上で批判や誹謗中傷を繰り返すことは非常に危険な行為です。週刊誌は営利目的のメディアです。彼らの行動基準は事実に基づかない憶測記事やフィクションを面白げにぶちあげて人々の興味を引くことで雑誌が売れればそれでOKというものです。そういうメディアの記事だけを鵜呑みにし、あたかもお二人を(特に小室さんを)悪、元婚約者を正義と位置付け誹謗中傷を投げかける行為は絶対慎むべきです。

しかし実際にはそのような行動をする人間がいまだに非常に多く存在します。この会見でも小室さんがコメントしましたが、元婚約者に対する小室家の公式な見解やスタンスは4月の文書の内容が全てなのです。それを相変わらずちゃんと読まずに週刊誌の作りあげた根拠のないストーリーだけを鵜呑みにし誹謗中傷を繰り返す人たちが後を絶たない。そして元婚約者は相変わらず週刊誌にしかコメントしない(その元婚約者なる人間は会見後も相変わらず週刊誌メディアとしか付き合ってないようです)。どちらが問題解決に対して誠実なのか、私は答えは明らかだと思っています。

  • 「私のことを思い静かに心配してくださった方々や事実に基づかない情報に惑わされず、私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々に、感謝しております」
  • 「厳しい状況の中でも変わらずに私たちを応援してくださり、今日という日を祝福してくださっている方々に感謝しております」

このように、眞子さんはこのような状況でも自分たちを信じてくれた方への感謝の言葉を繰り返し述べています。しかし同時に私は、このような状況を作り上げた週刊誌メディア及び、週刊誌の記事を鵜呑みにし誹謗中傷を繰り返した人々への怒りや失望の意志を感じました。

世間ではいまだに小室圭さんに対し、週刊誌メディアが面白おかしく作り上げた「疑惑」に対して説明責任を果たせだの、疑惑を晴らすエビデンスを出せだのといったコメントをする人たちがたくさんいます。しかしそもそもなぜ赤の他人が作り上げた疑いに対して、“疑われた側”がシロであることを論理的に説明し、疑っている人々全員を納得させないといけないのでしょうか無いものは無いのです。説明責任やエビデンスを提示する責任があるとすればむしろ疑惑を投げかけている週刊誌側です。

今回の記者の質問の中に、小室さんの母が遺族年金の不正受給したとの疑惑に関する質問を投げかけたメディアがありましたが、小室さんは「そのような事実はありません」と回答しています。この回答に対してやはり「説明責任を果たしてない」「エビデンスを示せ」といったコメントを多数見ましたが、私には全く原理原則を理解していないとしか思えません。

(ついでに言えば、憶測にまみれた週刊誌記事をベースに与党議員をしつこく追及して貴重な時間を無駄にする野党は存在価値が全く無いと私は思います。モリカケなどは我々国民のほどんどには価値のないテーマであり、選挙の争点になどなり得ないのです)

類似の事象から見える、皇室の「公」と「私」に関する重いテーマ

話が少しそれるのですが、先日女優の戸田恵梨香さんと水川あさみさんが週刊誌メディアに報じられた番組降板説や不仲説などについて、インスタグラムでそれらを否定するコメントを出したこと、そして女優の上野樹里さんが追従するコメントを出したことが話題になりました(原文が乗っている記事はこちら)。彼女たちの行動に対してはおおむね「勇気ある行動」と称賛する声や「嘘ばかり記事にする週刊誌は存在する価値無し」といった週刊誌への批判の声が多かったように思います(参考記事はこちら

しかしこの件を見ていて私は不思議に思いました。

彼女たちのコメントはシンプルに言えば「報道は誤りである」としか言っていません。そしてこのコメントに対して「週刊誌報道が誤りであることの説明責任を果たせ、証拠を示せ」といった反応は全くと言ってよいほどありませんでした。週刊誌メディアの根拠のない憶測記事が世間の関心を呼び起こした点、そしてシンプルに「報道は誤りだ」とコメントした点において、彼女たちの件と眞子さん小室さんの件の基本的な構図は同じです。それにもかかわらず世間の反応は大きく異なっています。

なぜ2つの件に対する世間の反応が大きく異なったのでしょうか。それは少なくとも「自らの意志を適切なタイミングで自由に発信できるか」「誤った記事で失った名誉等を司法の場で取り戻すことができるか」の2点について、(芸能人も含めた)国民と皇室で大きく異なるからだと考えます

眞子さんは会見の中で「本日まで私が公に発言する機会は限られてきました。そのために生まれてしまった誤解もあったと思います」とコメントしています。つまり皇族の立場では自らの意志を自由に発信できなかったことと、それによって「誤った情報」 が拡散してしまったことを認めています。戸田さん水川さんの件を踏まえると、もし眞子さんが適切なタイミングで自由にご自身の意志を発信できていたならば、小室さんを悪と位置づけようとする世間の雰囲気を断ち切ることができたかもしれません。しかし眞子さんにはその自由がなかった(厳密に言えば「制限されていた」)ということです。

特に小室さんと小室さんの母に関する誤った報道があまりにも長い期間に渡って複数の週刊誌から垂れ流され続け、且つ眞子さん小室さんが適切なタイミングで反論できなかった結果、小室さんが「皇室の結婚相手に相応しくない」という空気が世間の一部に醸成されてしまいました。一方の戸田さん水川さんは誤った報道が出てから短時間で「誤った報道であること」と、誤った情報を流した週刊誌に対する非難や皮肉を表すコメントを付加することで、世間の空気を一変させることができたのです。

この「意思表示が自由にできないこと」は非常に大きなテーマです。「日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務」では以下の通り、言論・表現の自由が認められています。しかし皇室の方々にはこの権利が完全には認められてないことを眞子さんは仰ったのです。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

日本国憲法

今回の件を機に「そもそも天皇(制)とは何か、皇室とは何か、何のために存在するのか」という議論が高まりを見せているように思います。そしてこれらに付随するテーマとして「そもそも皇族は国民なのか?」「皇族に人権はあるのか?」といった皇族の位置づけや権利についても同様に議論が高まっています。

私自身これまではそういった議論に興味を持ったことはありませんでした。皇族の方は(なんとなく、と言ったら失礼ですが)国民に寄り添ってくれているんだなくらいの感想しかもたないような1人の国民でした。しかし今回のお二人の結婚に至る経緯を把握した上で日本国憲法と皇室典範をじっくり読んでみると、上記の疑問が自然と湧いてきます。

前回の記事でも書きましたが今回の件で重要な点の1つは現在未婚の皇族の方々がご結婚される際に今回と同じことが起こりうるということです。

今回の件は特定のメディアと特定の人間(あえて誰とは言いません)のみが大きな利益を享受した一方で、国民と皇室とが分断され日本という国と多くの日本国民が大きな不利益を被ってしまいました。再び同じことを繰り返してはならないとも思います。そのためには皇室の位置づけや権利という、これまであまり踏み込んで議論されていなかったテーマを我々国民が真剣に議論しなければならない時期が来たのだと考えます。

ちなみに先日放送されたワイドショー「ミヤネ屋」では、皇室のSNS利用について取り上げていました。私も少し見ていましたがこの議論は論点がずれています。SNSはあくまで情報伝達の手段(How)です。しかし先に議論すべきなのはHowではなく、何の情報発信をするのか・できるのか(What)です。このWhatについて適切な結論を導かない限り、いくらHowを議論したところで根本的な解決にはなりません。

次回の記事ではこの「皇室の位置づけや権利」という点について考えていきたいと思います。

今回の記事は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。

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